禅問答を誘う話者


 だいたいいつもどおり終日モケーと過す。夕方から夜にかけて、なんかおもろいのないかしら?と、あーだこーだねとらじを新規に物色するも、つけたり消したり30秒づつえんえんザッピングし続けて終わる。ずっとぼんやりしてどうも集中できなかった。ここんとこずっとそんな感じな気もする。なんも聴く気になれない、たぶんアレだ、そういうとき自分は師匠のラジオくらいしか聴けない気がする。「うどんくらいしかノドを通らない」みたいなアレ。師匠の放送は多分自分の耳にとっての「うどん」なのだなと思う。気を取り直して、昨日聴いていたねとらじの離席してて聴けなかった部分の録音を聴く(ややこしい)。やはり熱くねとらじについて語っておられて激シブだった。大好きな放送や話者を熱く語る話は聴いていて本当に清々しい。そんなふうに過しつつ、ぼそぼそした気分でああもう今日は日記書いてクソして寝ようかと思った矢先、万次郎屋さんの放送が始まって、だらだら聴いたり聴かなかったりやってたらこんな時間だった。ああもう。
 万次郎屋さんは放送6時間あたりを越えたあたりからが本調子なんだなと毎回思う。大雑把、ざっくり感の向う側に突き抜けていく感じ。レスとのやりとりが禅問答じみてきてからが真骨頂という雰囲気もある。アホみたいなレスの連投に興じつつ「あ、この感覚、なんかに似てるな、、」と思い出したのが、一年ほど前に少し○つらじでやっていた○んどめさんという話者で、その方の放送が始まるとやはり憑かれたようにレスを重ねて、きまって禅問答のようなやりとりに熱中したのが懐かしい(その方は放送開始から6時間後といわず、なぜか放送冒頭から突き抜けた感が充満していた。いったいあれはなんだったのだろう。。)。どう説明したらよいのか、うまい例えや似たタイプの話者が思い浮かばないのだけれど、たとえば「もしジョーカー氏がレス読みをしたら?」というような雰囲気かも知れない。とりつくしまもない感じというか、すべての話に独特のとりとめのなさがあった。それから独特の集中力、(丁寧に毎回用意してくる)仕込んだネタの絶妙にして見事な上滑り感。あれは本当に毎回爽快だった。ハマってからはほとんど一人でアホみたいなレスをしていた記憶がある。「今日もBGMのジョン・レノンが素敵ですね」だとか、懐かしい。。 「○んどめさん、今ごろどこでどうされているかしら?」などと朝からしばし感慨にふけってしまったが、向うからしたら、未だに飽きもせずねとらじなどという場所に張り付いてあーだこーだ言ってる私の方が心配されてしかるべき境遇なのかも知れない。そうこう書いていたら、おりしもjkのクレージートークが始まった。ファンタスティック。。
 画像は、先日の会合にて献上した工作物。かのやんごとなき方への過去の供物(選曲)を編纂したmixCDのためのアートワーク。むしろCD盤面の手書き文字に反応されるやんごとなき方が印象的だった。それから、曲間まで細かく計算して編集したにも関わらず、最終的にオーディオCDに焼く段になって「曲間2秒」とかいう設定ですべてを台無しにしてしまう自分が、だめだどうにもならねえなと感じた。



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