ロマン周辺




 さむいさむいさむい。
 たそがれどき。骨のおれる仕事などで外をまわる。日が暮れるのが早えなと思う。だいたいいつも○○に入って出てくるととっぷり日暮れて、だいたいさみしいにおいがしてくる。
 電球のストックが底をつき、困ったなあとあちこちの電球をつけたり外したりして間に合わせる。どんだけ貧しいんだよと笑けてくる。蛍光灯はきらいなので白熱灯しか使わないんだけど寿命が短くてアレだなと思う。ふつうの白熱電球の寿命8倍とかいうまきぐそみたいなデンキをもらう。スイッチを入れるとゆっくり明るくなるのも、そのまるで生き物じみたさまあやしうこそものぐるおしけれ。ついでにずっと切れていた寝室のでんきも、そのまきぐそでんきを取り付ける。これはアラビアかどこかの古シェードで、買ってきた当初、油じみた煤だらけだったのを拭き取るのにだいぶん難儀したのが懐かしい。これが灯ると、寝室じゃなくて思わず閨房とか後宮とか呼びたくなるような妖しい雰囲気がある。
 いまちょうど、○つらじで恋の若大将改め光D氏の放送がはじまった。昨日の放送の「ロマン」の件がまた頭をよぎる。現在一般に使われる「ロマン」だが、19世紀初頭の芸術運動ロマン主義(ロマンティシズム)、ロマネスク、ロマンチック、いずれも小説的、空想的、非現実的といった意味合いで使われており、語源はローマ帝国時代後期の庶民の言葉(ロマンス語)で書かれた文学作品を「ロマンス」と呼んだことに由来するらしい(ちなみに芸術運動のロマン主義に対抗するのが自然主義と捉えると分りやすいかと)。まあ御託はどうでもいいんだけど、「結局ロマンって何よ」って、あーでもないこーでもないと考えていたらついつい語源が気になって、あっちゃこっちゃ引っ掻き回した挙げ句それでもまあよくわからない。浮き世離れしてるってことを「ロマン」とでもしておけばいいのか。たとえば「死ぬほど思いをよせる女性が横に寝ているとして、好きだからそこに襲いかかるか、好きだからこそなにもしないか」という二択があるとして、どちらの行動がよりロマン主義であるか?と問われたら、あたくしなぞはなにもしないことの方にロマンを感じるのだが、ここを読んでくださるあたくしの魂の救済者であらせられるありがたい皆様方におかれましては如何様に思われるか実に気になるところなのである。そして光D氏にもそこんところ是非とも問いたいのである。ちなみにいい歳して臆面もなく「ロマンってなによ」などという日記を書くことも大いにロマン主義であるし、「電球のストックが底をつき」などというのは多分に自然主義でありますし、かように無自覚なままワケの分らない日記を書くから結局みっともない折衷様式になってしまうのでございます、皆様方におかれましてもどうか御注意くださいませ。
 なるべく本能的、動物的な情動を理性で押さえつけてやせ我慢する。これは「浮き世離れる」とはあんま関係ないか。しかし「やせ我慢」と言えば江戸っ子の粋の神髄で(この「粋」というのも光D氏が放送で再三くり返すキーワードなんだけど)、「つゆに蕎麦をどっぷりつけない」なんてその最もたるもののように感じていて、江戸っ子でもなんでもない不粋人間のうまのほねには全く理解出来ないのだが「横に寝ている女性を襲わないのとつゆに蕎麦をひたさないのは果たして似ているか?似てないのか?」などとあれこれ余計なことを考えはじめるともう俄然ワケが分らなくなってくるのだ。。。とにかく光D氏にはそのへんのことを今後とも放送内で独自に追求していっていただきたいなあと思う所存なのでごぜえますよ。

Download mademoiselle / patoune avec la participation de francini ('6?)


 かのやんごとなき方がお風邪を召されていると聞きおよび、なんとなく風邪に効きそうなパトゥーヌちゃんの唄を貼ることにいたしました。ご本人に読まれてないと知りつつ、ついついこのような所業に及んでしまう愚かさにもあたくしはロマンを感じます。よくもまあ日記だとこのようにあつかましくも気持ち悪いことが書けるもんだなあと我ながらびっくりします。ラジオで出てきてしゃべると探り探りなのになあ。。