○つらじのおもいで


 (11月2日)正午すぎ。重苦しく曇った天気。ときおり小雨がまじる肌寒い外を廻り、端から見てるとしょうもないのだがミスが許されないので神経を使う細かい仕事を終えて今帰宅した。先日の会合においてやんごとなき方のご尊顔に無事拝謁かなってからというもの、ずっと虚ろな気分で日々過している。あの一大行事が過ぎ去ると同時に、まるであたくしの2009年も一足早く終わってしまったかのような、そんな独り年末気分。ふと油断して物思いにふけると、あれやこれや頭をかすめてゆくとりとめもないよしなしごとをただ見送る毎日なのです。

 今日は夜半から明け方まで某所のラジオ―いつも戦争しながら片手間で聴かせていただいている放送なのだけれど―今日はねとらじやらふつらじに関する話題がいろいろ出ていて、そこで自分の体験など思い返しつつ興味深く拝聴していた。自分がふつらじ参加2回目のときだったが、とち狂るって○ウム真理教信者の体で放送したことがあって、つい油断してそういうレスをしてしまった流れから、調子に乗ってもう少しでその時の録音ファイルを掲示板に貼るという暴挙にまで及びそうになった。セーフ。あれは迷惑だろうからやらなくて本当によかった。
 しばらく、もうずっとあの時の「○ウム信者のふり放送」のことは忘れていたのだけれど、今朝がた実に久しぶりにそれを思い出してからは、なんであの時の自分はそんな大それた思いきったことが出来たのだろうか?と、感慨深く思い返していた。近ごろのふつらじの空気みたいなものを基準に考えると、やはりとんでもないことをしでかしたもんだと反省させられるし、自らすすんで(もうほとんど)罰ゲームのごとき愚行に及んだといわざるを得ない。

 「昔はあーだった」とか「昔は良かった」だとか、そんなことを言うつもりもないし、そういう懐古趣味自体を心の底から軽蔑する。その時々でうつろいゆくDJとリスナーをゆるやかに受けとめてきたのがふつらじという受け皿だと思うし、なにが良い悪いとかは一切無くて、今はもう「その時々そこに居あわせた配信者と聴取者の間にあったものが、それぞれのふつらじ」くらいにしか自分は考えていないけれど、そういう今の自分の感覚では考えられないような「○ウム信者のふり放送」というあの愚行は、あの時、自分がふつらじに感じていた熱気というかファナティックな雰囲気がそうさせたとしか考えられない。あまつさえ、ふつらじの「普通」が「普通のことをするな」というフリにさえ見えていた、そんな頃だった。 
 自分がふつらじを聴きはじめたのが去年の秋頃なので、ちょうど一年程の時間が経とうとしているが、あのころのふつらじ、多種多様な才能で楽しませてくれるほとんど化物じみた大物DJが割拠し、自分みたいな軽はずみで始めたような人間がどうやってそこに居場所を見つけられるか、分け入ってゆけるのか、、と考えた時、その地点から「○ウム信者のふり放送」という馬鹿げた愚行を発想するまで、自分の中ではそこまで無理な(感情と思考の)飛躍はなかったのだ。

 「○ウム信者のふり放送」に到る経緯を説明するには、自分のふつらじ初回放送から話をしなくてはならない。自分の初回放送は手元の記録によると2009.1.9となっている。ふつらじを聴きはじめてから実際に放送に到るまで2,3ケ月の時間を要した。先に述べた通り、自分がふつらじという大それた場所にどのように関れるのか?(そもそも関わって良いものなのか?)という、放送技術以上にそういった心の準備が必要だった。
 悩んだわりには「初回放送はDJ名募集でなんとか切り抜けよう」とかいうありがちな腰の引けたスタンスで初回放送を敢行。3時間に及ぶ(リレーという放送形態においては)長時間放送だった。その時に貰ったDJ名候補は今でも大切に保管してあるし、貰っているその時点ですでに「ああこれはきっと先々、かけがえのないものになって行くんだろうな」という予感はひしひしと感じていた。それを一応貼ってみよう。

 「ガチガチ、スペランカー、低スペック 、にきび 、一休さん(一時休職&1月9日)、休戦士、冬眠、ラストリミット、高血圧、エドウィン(501スレ目、リーバイスの誤り)、そぼく(それでも僕は生きていく)、ネガチブ、○カトロニウム、分速1センチメートル、プーさん、ブチギレファイブ、崖の上のぷにお、キンチョール、チョットスロバキアキャタピー、ひもの、ニフラム、デジョン、ジョーイ、onion、九条モトム(苦情求む)、にんにくガーリック風味、ドラゴンクエスト トトロの紋章、暴力系バタフリー小田急、ジョイ君、ビオレママ、リルウインド、俺の部屋に隙間があって、足が寒い、オウム、切れる30代、オウム真理教、フレッシュアンドブラッド、落花生、なんちゃってナイスミドル、スミス(by腐った死体)、新鮮である、血液、新鮮な血液、初期と血、海外と日本のテレショップの違いについて話してくれジョニー、DJドマイ!、ぶつ切り戦士、なんちゃってナイスゲイ?」

 この時いただいたDJ名にひとつひとつに、あの時はあーだったなこーだったなという思い出がある。今改めてこれらひとつひとつに「ありがとう」と言いたい。普通にねとらじやりたいやつリレー501スレ・レス番701から813。この時いただいた112個のレスひとつひとつに「ありがとう」と言って握手したい。あの時、名前をくれたリスナーさんやDJさんは今でもふつらじにいるのだろうか? 今どこでどうされているのだろう。。そんな感傷的な気分にさえ浸ってしまう思い出のリストだ。それぞれのDJ名に、自分があの時しゃべったことや、放送中のエピソードがちゃんとまつわっている。未だになぜそう名付けたのか理由が分らない「ジョーイ」や「リルウインド」あたりも、それはそれで謎めいていて深く心に刻まれている。。
 興奮のまま初回放送を終えた自分は早速、次回放送をどうするか?ということに思いを巡らせた。もう名前募集で切り抜けることは許されない→たくさんの名前をいただいたリスナー様に恩返ししなくてはならない→でも自分のDJスキルではどうにもならない→じゃあスキルがない分、いろいろ準備して企画放送するべきだ(この発想は今とさして変わらない)。。そこで考えた企画というのが、いただいたDJ名の中のひとつ「オウム」(これは、放送中のトークの「おうむ返し」からいただいた名前)を某宗教団体の「○ウム」とすすんで曲解して、その信者のふりをして放送するというもの。具体的には「麻原某のテーマ曲」のループ再生をバックに、○ウムの教義を混ぜこんだ1読み、そしていかにも信者らしいレス読み(これは一切アドリブが利かない自分には期待できない要求だったので、事前にいくつかパターンを想定しておいた)という内容。今こうして思い返して書いてみても「よくもまあやったな」という感じなのだが、なにしろ当時自分がふつらじに抱いていた印象は「次にどんなとんでもないやつが出てくるか予想もつかない場所」というものだったから、「自然体での放送は自板でやってればいい、ふつらじでやるには何かしなくてはならない」という、なにか強迫観念じみた思いに迫られていたように思う。 
 その頃の日記を軽く振り返ってみると、、「またもや魔がさしてリレー参加しますた☆ 前回いただいた名前から(今回は)オウムを選んで、いろいろ準備して放送。。たとえば、弱点をネタにするなど。出力不足とノイズ→ヘッドセットの事を90万のヘッドギアと言う、頻繁な放送断線→ポアと言う。結果、スレの雰囲気は微妙。自動録音リスナー数3〜4割減(後の自板放送において判明)。〜中略〜そのショックを引きずったまま自板にて反省会放送。〜中略〜もしこれを大好きなあのDJさんが聴いたとして、、ウェッッ!!!とひかれたら、オレはすっぱりふつらじリレーから足を洗う☆ ●反省点、冒頭の『今回で二回目のしゅぎょu。。放送なんですけれどもね。スミマセン相変わらず緊張でガチガチ云々。。』のくだりの大根(役者)っぷりが我ながら泣けた。。orz」(2009.1.11 FNS日記より)などと、ほとんど今と変わらないような厚顔無恥な筆致で記録している。
 思い返すと本当に馬鹿げているが、その時の自分にはなにかそれが精一杯だった気がする。。ただ確実に言えることは、自分は今よりももっと必死だったし、大勢の方々が期待をこめて聴いている「ふつらじ」という場所(ふつらじの録音リスナー数というのは、自分の実力とは全く無関係な過去の先達が築いてきたありがたい結果である)、そういう場所を借りて、自分のような浅はか者がいったいどういう放送をしたらいいのか?という、やたら切実な思いがあった。今となっては、気付けばそんな情熱も消えてなくなってしまい、(良くも悪くも)まったりとしたぬるま湯のような雰囲気の中で、好きな音楽をかけながらぼんやりと雑談してお茶を濁そうくらいにしか考えていない自分がいる。

 ○ウム信者放送の現場での反応は冷ややかなものだった。あたりまえである。まだ、叩くようなレスをくださった方は優しかったと言わざるをえない。君子危うきに近寄らず。関わらずに静観するのが常識的かつ理性的な対処であろう。まだ「馬の骨という話者がどんな人間であるのか」ふつらじのリスナーに認知があったなら、あの罰ゲーム的放送内容もねとらじDJのサービス精神の一つの発露として理解されたかも知れない(願望)。急に出てきた人が○ウムのふりをして、それを笑って受け入れてくれというのがどだい無理な話であったわけだが、その時の自分はいかんせん必死だったので、ふつらじDJとしての一定の認知をうるまで、なんとなくぼんやりした放送を続けるというわけにはいかなかったのだ。
 あの時、「おまえのマウント、拒否リストに入れる」とレスをくれた方、今はどこでどうされているだろう。今もふつらじにいらっしゃるのだろうか。今はただ心から「あのとき、レスをありがとう」と言いたい。それから、ふつらじでの○ウム放送の直後、「やりきった!おれ!」という興奮とともに自板で反省会放送をしたのだが、そこに来てくれた数名のふつらじからのリスナーには、もうほんとうに感謝で頭があがらない。よくあの放送を聴いて来てくれたものだと思う。つくづく、かけがえのないリスナーさんだと思う。同時に、○ウム放送のあとでは、あまりにも当たり障りのない、なんの取り柄もない自板でのぼんやり放送を聴かせてしまい、なんだか申し訳なく思った。あの時いただいた「またブラックで濃い放送期待してるよ」というレスには申し訳ないなと思った。これ続けるの正直辛いッスと思った。(仮に、今またふつらじで○ウム放送をやったとして、そんなレスをくれるリスナーさんはいるのだろうか?) あの時ふつらじから来てくれたリスナーさんは、今でも自分の放送を聴いてくれているのだろうか? 何人かの常連さんが思い浮かぶのだけれど、本当にあの時の○ウム放送で得られたリスナーさんなのか、確証はない。。

 放送直後、後付けで「"普通にねとらじリレー"のヌクモリティとねとらじリテラシーを問う!! ○ウム放送」などと題して、録音音源をうpしたりしたが、この「○ウム放送が、ねとらじリテラシーを問う」という考え方には、今もそれほど違和感を感じてはいない。別に○ウムを擁護するつもりはまったくないのだが、以下は書いておきたい。自分はあのサリン事件の時、ちょうど丸ノ内線を利用していた。事件の起きた駅も普段使っていたし、学生時代住んだ街には○ウムの施設があって、事件後はマスコミが大挙していたのも鮮やかに記憶している。○ウム事件というのは比較的身近に存在した。がしかし、○ウムが起こした一連の事件は確かに突出したものと思うが、新興宗教としての○ウムの存在感はタブー視するような特別なものだとは思っていない。一説によると発足して300年未満の宗教を大雑把に「新興宗教」と呼ぶらしいが、他にいくらでも妖しげな宗教はあるだろうし(むしろ妖しさや生臭さこそ「宗教」の本質に関わる重大な要素とさえ思える)、○ウムの末端の信者たちだって一般よりちょっと純粋で視野狭窄なだけの、どこにでもいるような普通の人たちだったのではなかろうか。けっきょく世の中に蔓延する○ウムに対する過剰な禁忌とは、マスコミが騒ぎ立て、「人の命は地球より重い」なんていう人間の思い上がり、例の安っぽいヒューマニズムに駆り立てられた大衆の無知が生んだ産物なのではなかろうか? なによりそのマスコミが進んで取りあげるのは大衆が無意識に望むもの。それはスキャンダラスな事件であり、他人の死や戦争ではないのか?

 あれこれ思いつくままに書いていったらクソ長くなってしまった。一転ごくごく自然体で放送した3回目、あの奇跡のリレーを実現した人探し放送の4回目、、、まだまだ語りたいことや、ふつらじ参加の数だけ言葉に尽くせない思い出はあるのだが、これらはまたの機会にゆだねたいと思う。
 

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