あのひとの、押上

 あけがた。朦朧とした意識でオガーさんの東京ラジオを拝聴。放送内で「もう飽きたかも」とおっしゃっていたが、毎週楽しみに聴いているリスナーの一人としては、ぜひとも続けていただきたい。今回は音楽に関する話題で、いやー待ってましたと感慨もひとしお。ブログにアップする諸事情からか放送内で音源をかけれないのが残念だが、終始興味深く拝聴する。「ステージの端から顔を出してたおばさんが幕があいたらキーボード弾いてた」「ストレートに気持ち悪い」など、随所にバンドへの深い愛情が垣間見えるコメントも満載。それがよく知らないアーティストの話でも、好きな音楽を楽しそうに愛情たっぷりに語られるのを聴くのは最高に好きだ。「なんで今、その人なの?」っていうようなちんぴら的アーティストの話なら、なおさらそこにある愛と業の深さを感じずにはいられない。
 自分の場合、その頃(80年代中期)のその手のちんぴらバンドで思い入れのあるやつがなかなかない。放送中に出てきたソ○ム、マ○ムエドワルダ、メ○ロファルスしかり。80年代末〜90年代初頭それこそ思春期にリアルタイムで聴いてたやつと、後に(おっさんに)なって新鮮に聴けた後追いのやつは80年代初頭の時期に集中してる。結局80年代中頃のその手のバンドは自分の食指からちょうどすっぽり抜け落ちてる。80年代初頭のNWらしい国産NWバンドというと「すきすきスゥイッチ」が個人的には最高峰で、それがあまりにも自分の感覚に合致しすぎてるせいか他がぜんぜん眼に入らないくらい。(万が一きょうび「すきすきスゥイッチ」が再結成してなにかやるとしたら、自分は何をおいても駆けつけるだろう。)その次にリザード(紅蜥蜴)とかが好き。モダンポップよりのNWならシネマが最高に好きだし、、やはり80年代中頃のバンドブームの裏でやってたNW残党っぽい人で思い入れのあるバンドって思いつかない。。
 そういえば、ポップ化したインダストリアルとかエレクトリックボデー系の人たちでDRPっていう札幌のユニットがいて、80年代も終わりの頃ばりばり80年代を引きずった時代の徒花感全開な雰囲気が気になって(つまり、そのくらいの気まぐれで)、おっさんになってから後追いでレコードを買った記憶がある。それはオガーさんが同じ札幌出身なので思い出したんだけど、どんなだっけ?とDRPをググってたらオガーさんの名前も一緒に出てきてもんどりうったw 
 やはり後追いで知った80年代初頭のアーティストだけど、かの山下毅雄の御子息山下透氏がやってたFADという無名ユニットの"Tunamma Shungo 〜 Singing Leady"という曲は1981年という時期を考えると突然変異過ぎて、むしろ先取りしてるんだか時代遅れなのか分らないような浮き世離れ感がすばらしいと思うのだけど、80年代も中頃になると、そういった「ちんぴらテースト」というか(反動的な)楽しみ方のある種基準となるような(ごくごく個人的な)時代感覚みたいなのがすごく薄れてたり、嗅覚みたいなのが全然利かなくなってしまってるんだなと思った。






 まあそんな自己満足な独り語りはおいといて(そもそもお前の日記がすべからく自己満足独り語りだろうが、という抜いた刃もひとまず納めていただくとして)、昨日はまたしてもやんごとなき方とデンワでお話させていただくチャンスがあったというのに、この平成の迷える電脳水呑百姓であるところのわたくしときたらみすみす逃してしまい落ち込んだ。。泣きたい。
 そのやんごとなき方が日記更新においてこともあろうか墨田区は「押上」について言及されていて魂消た。渋すぎる。これをセンスと呼ばずしてなにをそれと呼ぼう!という勢いでわたくしは感激した。墨田区といえば漂泊の表現者ことオガーさんがいま現在その住まいを構える地所であり、遡ること数年前、わたくしが熱心にいれ上げ、ほぼ毎週のように城西地区からチャリンコではるばる東京を横断する形で訪れていた地所なのである。だからこそ思い入れは半端ない。だからこそ言える「押上」はセンス良すぎる。2009年も押し迫りつつあるこの時期において、あえて「押上がいい」。。これは妙齢の女性のセンスとしてわたくしが想像しうる範疇でも最上の部類であると今ここに全身全霊をこめて断言したい。
 個人的には「曳船」あたりもお気に入りなのだが、「押上がいつかは下りてみたい駅」というやんごとなき方の鑑識の確かさ、卓抜な審美眼には魂がうち震える思いがした。残念ながら押上という場所はじつに地味な住宅地で、あまり写真をとった記憶がないのだが、隣街の京島は寂れた場末愛好家にはつとに有名な人気スポットでもある。今日はその京島の中でも押上よりのお気に入りの地所の風景を貼りたいと思います。去年の冬くらい。チャリで東京横断もだんだんしんどくなってきた時期のものでございます。今日もこの雑記帳をご覧いただける貴方さま、そしてわたくしの迷える魂の救済者で在らせられるすべてのやんごとなき方々へ、どうか御笑納いただけましたら身にあまる幸甚に存じあげます。