burning UDON noodle for radio impotents

神が無い月と書いてかんなづき。気がつけば18日、嗚呼。。
くだんの工作物うんぬんの関係で、編集用に複製したAIFFデータがかさを食う。HDの容量が圧迫されている。それで、いろいろソフトを立ち上げてもぽこぽこ落ちるので、あたーきたので全部落とした。ねとらじ番組情報取得ソフトも落とした。聴かねえ。どうせ聴いたって適当に集中力をそらされるだけ、食事中の読書と似て、ごく希薄な情報が脳に与える微弱で緩慢な刺激がただ心地よいだけで、充実した気になっているのだ。どうせ適度に気が散って頭がぼーっとして無為に過すだけだ。それでもなんだか吐き出したい気分なので、最軽量のテキストエディタに向かうことにした。 / ちかごろ、ツイタがイラついてしょうがない。とある事情から、ツイタの最新更新を拾ってくるとこが目に入ることがあるんだけど、最初は気にしなかったんだけど、よくよく考えてみれば、べつに知りたくも見たくもない他人のつぶやきが、望むと望まざるとにかかわらず、おのが脳味噌に入力されるのがきわめて不愉快なので、そういうのを視線移動中になんとか遮断できないか心がけている。スムーズな視線導入に配慮されたHP内の広告だって普段我々は無意識に遮断して、知りたい情報だけを取得するように出来ているのだ、訓練すれば出来ないことはないはずだ。 / ツイタでいらつかないのは、内容が劇的な場合か、内容の刺激や意味の比重がツイタの枠組みを著しく壊してる場合か、もしくは(オガーさんよろしく)ツイタ本来の用法に逆らった使い方をしている場合のみだ。。。なんてことを、焼うどんを食いながらつらつら考えていたんだけど、まあべつにどうでもいいか。 焼饂飩。漢字で書いてみるとだいぶ趣というか、佇まいが違うなと思う。焼饂飩の味つけが濃くて案の定、後になってノドが異様に渇いたので、フローズン水道水をごくごくと畜生のように飲んだ。それからコーヒーも飲んだ。おかげで今、すごく気持ち悪い。 / ちかごろはなんだかムラムラっと来ないので、ぜんぜんラジオをしていない。よくよく考えれば、ラジオをするってたいへんなことだと思う。決心がいる。ムラムラきていろいろ物事の見境がつかなくなるまでは、そういう一大事業はしでかせない。ちょうど工作物の作業がラジオの下準備に似てるので、そっちで欲求が解消されてしまっているのもある。いずれにせよ不能者みたいなものだ。ラジオをしていた人がラジオをしなくなるのも一種の不能化である。レディオインポテンツ。横文字にしてみるとなかなかこれも別の情緒をかもし出すなと思う。趣きオルタナティヴであるなと。 / 破綻だらけの文法でも最低限の国語で吐き出したい何かを表現するすべがあってよかった。もし日本語を習わなかったら今頃このやり場のないあれこれをどうしろというのだ、考えるとぞっとする。壁に頭でも打ちつけて一晩中悶えればいいのか? 無意味にギラついてやみくもに野心をたぎらせてラジオでもおっぱじめろというのか? そこで言葉にならない何かを叫べばいいのか? そうすれば満足できるだろうか? "burning UDON noodle for radio impotents"などと銘打って、今という一瞬を唄に託してみるのもよかろう。この場合ギターがよかろう。シンセやら打ち込みではいろいろ手続きが多すぎて初期衝動が失われてしまう気がするからだ。電源のいらないアコギならなおよかろう。なんやかんやあれこれ勢いにまかせて一気呵成に書いてるようだけど、途中で風呂に入ってるのだ。風呂に入って出てきて、また勢いに任せて書いてるようなフリをして書き続けているのだ、どうせ全部ウソだらけだ。オガーさんのいうとおり「生きる」なんて畢竟、時間と資源と歓喜と絶望の無駄遣いなのだ。書いてる途中で風呂に入りながら、さも5分くらいで書きなぐったというような体であとは何も知らん顔で寝るだけだ。