○様の手放し運転

 あつい。
 起床。氷らせた水道水、非常えさ、コーヒー。
 コーヒーの湯を沸かす鉄瓶の内側が派手に錆びてるんだけど、これ大丈夫だろうか。あわよくば鉄分補給とかに、ならねえかなっていう。

 某所で○様のブログを知る。 →りんく
 某所を覗いてても、なんも役にたつことないなあと思ってたけど、初めて役にたった。ありがとう。
 で、この○様のブログなんだけど、すげえ面白いなあと思う。ずっと○様って、しゃべり方が面白い人だなあと思ってたけど、書いても面白いんですね(失礼。内容より、話体、文体)。なんつうか、文章にコクがある。一瞬、武田百合子の日記*1かと思った。うそです言い過ぎました。ラジオを聴いてる時と同様、文章を読んでいても、雲をつかむような、そこなしな感じ。いろいろ自覚的に、いろいろ考えた結果、ああなっているのか、それとも、もっとナチュラルにそうなってるのか、分らないけど。

 とりあえず、日記カテゴリの、「日記」と「ブログ」っていうのが、ものすごいおかしかった。よくわからんけど、すごいおかしかった。よくわからないまま、笑わされると、尊敬してしまう。油断させて、足下かっさらう。これ大好き。表現(方法)としてリアリティを感じる。現世もねとらじも、はったり野郎が大手をふっていやがることですし。
 しかしそれにしても、日記カテゴリの「日記」と「ブログ」って、なにやら深遠だなあと思う。これ、しばらく考えても、うまく整理できない。なんか、ものすごいことを表現してるような気配がする。自己言及的つうか、自己形式批判だよね。嫌味じゃないメタ表現つうかね。
 ○様といえば、前に聴いた「いかに下手に唄うかカラオケ」の放送がすごい好きだった。僕がいままで、ねとらじで聴いた唄の中で、一番好きな唄だ。そん時「今日、会社から帰ってきて、この企画のための録音しかしてねえ」って言ってたのが、おかしかった。あれは、でまかせなんだろうか、ほんとうなんだろうか。いまだに、分らないけれど。このブログも、そういう感じで読んでみると、ものすごいおかしいなあと思う。

 前々から、個人的に「ねとらじ放送を好きになるというのは、その放送主を好きになることだ」とか、(余計なことを)思ってたけど、○様の放送って、ちょっとそういうモノサシには収まらない、なんかがありますね。
 「おれも勝手にすんから、おまえらも勝手にしさらせ」っていう。
 某ナミ○○ュンさんの放送とかも、そういうとこあるけど、やっぱ、しばらく聴いてると、聴いていて「話者をなんか好きにさせるところ」を感じる。主の「コミュニケーションへの渇望」みたいなもんが、無意識に配信に載ってるような気がする。
 ○様の場合、もっと手放し運転みたいなものを感じる。サービス満点な時もあれば、なんで配信してるんだろう?っていうような時もある。でも、それでも配信するんだから、それはむしろ逆接的に「コミュニケーションへの強烈な渇望」として捉えることも出来るんだけれど、やはり、放送の、もやもやした手放し運転(感)は維持する。もっと「この人はどうしたいのだろう?」っていう興味と集中力をもって聴いてみると、いろいろアレなのかもしれない。
 でもやはり、本当に、リアル手放し運転だったとすると、「ああおれは、なにをしていたんだろう。。」っていうアレもある気がする。この場合、話者ではなくて、自分自身に向く、嫌悪感なのですけれど。



旅行先にて、どしゃぶりのおまつり



ここの前→ http://d.hatena.ne.jp/mahone/20090813



*1:

富士日記〈上〉 (中公文庫)

富士日記〈上〉 (中公文庫)