青空と貧乏性

くもり。だいたい無為にすごす。
夕方。ホームセンターのようなところへ。閑散としている。
蛍光灯の、白々しい光だけがあふれる、まのびした景色。
いつか行った、母の郷里の町の、デパートメントを思い出す。
広々とした空間に、ただ、照明だけが明るい。それでいて、
つねに、どこか視界の端に、うすぼんやりとした、寒々しい、暗がりがつきまとう。
これは、どこか、なにか、なつかしいかんじ。
日用雑貨。大きなかけ時計。
電波時計電波時計」と家人。一つ覚えのように唱える。
ひさしぶりに焼肉をたべる。安くてうまいホルモンは、えらい。

祖母のために、旅行写真を出力する。
家族から、全体的に像が暗いと言われる。
ばあさんは目が悪いから、画像が暗いと見えないという。
画像のハイライト部分が白く飛ぶのがいやなので、
私は昔から、なんでもかんでも、露出抑え目で撮るクセがある。それを分かっている。
快晴なら、空の青まで写しとらなければ、なんとなく気がすまない。
白く飛ぶと、やはり画像の情報量が削られる。
私の見た、空の情報量が、削られてしまう。
。。。また情報量ってか。うるせえな。ああおれか。
仕事で、カメラマンに指示してたのも、そのたぐいのことばかりだった気がする。
情報さえ削らなければ、微妙なトーンさえ残っていれば、
あとでいくらでも復元はきくから云々。
おなじシャッターの一押しなら、どうせなら、情報量が多いほうがいいのだ。
白く飛ばさず。黒く潰さず。
なんだ。結局、ただの貧乏性じゃねえか、と思う。
実際、私は近眼なんだけれど、
ものの見方、捉え方も、なにかと近眼的なケースが多い。




よふけ。
ラジオつけたり消したり。それから、
太平洋戦争のTVドキュメントなど、また所在なく、ぼけっとながめる。