明日への疾走、散らかるまんじゅう

寝つまった。また聴きのがした。
未明におきる。
氷らせた水道水、おかし、わかめスープ。朝のひかり。
みんな生きてゆく音たててゐる ─ 山頭火



ある種の手慣れた話者の方法。
緊張感を作って、箸が転んでもおかしいような、倒錯した状況を生み出す。
(例えば、葬式とか、笑ってはいけないような場所では、なんでもおかしいような)
おかしい冗談を考えるのではなくて、逆説的な方法で、
なにが起こってもおかしいような「場」を作る人たち。

だけど、いちいちそうやって考えてみると、
なんだかよく分らんことで笑わせられるためだけに、
そのつど、いちいち緊張を強いられるのも、かったるい話だなあと思う。
でも、そういうタイプの話者は、うるさくないし、個人的には好きなんだけども。

で、そういう方法を、
一気に突き詰めて、洗練させたような形の一つが、jkだと思うんだけど、
あのスピード、展開、話題の振り幅、それから、
ただ笑わすためだけに緊張感を作ってるんじゃなくて、
緊張感を作る手法はあくまでも、思想や哲学だとか、ためになる(ような)話。
あくまでも、本人に、聴者を笑わせようという意識は、あるのか? ないのか?
あるとしたら、あの話題の、スピードと振幅についてゆける人を、おのずと選ぶわけだけども、
「笑いたいやつだけ笑え」っていう気分だとしたら、やはりすてきだなと思う。
思想、哲学の話題の最中に、あのスピードで、まんじゅうを矢継ぎ早に発射されても
ほとんど、食えないというか、気付かずに踏んづけてしまう。
それでもjkは気にしない。笑いたいやつだけ笑え。
jkの哲学漫談を聴いていると、
あれはjk自身に語りかけているような、
jk自身を笑わすために語りかけているような、
そんな気さえしてくる。
jkは、だから話すのをやめない。今日も新しい自分と対峙し、
その新しい自分のために語りつづける。見えない地平に向かって、加速しつづける。
疾走するダンプのあとには、いつも、踏みつぶされたまんじゅうが散乱している。