やんごとなき方 = コバヤシチヨジ説

放置状態だと思ったのに、一日でばれた。
リンク元、よくみてますね。
いや、ごぶさたしております。元気そうですね。
朝です。すみれ色の、やけくそな、朝です。

ラジオを聴いて、途中からサッカー番組を観た。
大喜利の方は、またお祭りみたいになっていた。
少しやってみたけど、しっくりこないのですぐやめる。
実況をかいつまんで聴くなど。
朝。倦怠感。
なにもない、ただ、光があふれる、朝。

内側と外側がある、
という意味において、この世の全ては、入れ物のようなものだ。
東京という容器の、俺の部屋という容器の、俺、という容器を、
ただ、光のさざなみが、よせてはかえし、ゆっくりと、満たしていく。
うつろな気持ちで、すごしていると、
容器である自分、という意識は、よけい、ついてまわる。



 オストデカイ

にしらはろくな銭もねいくせに海だ山だってけつかる
まったくたまげたもんだ
むげいのおどっつあは
きぐしねくてやんだおら*1


そういえば、あの方言は会津弁だったのですね。
すごい偶然。いつか朗読して欲しいなあ。
やんごとなき方は、ねとらじのコバヤシチヨジだ。

 嗚呼、やんごとないぜ。

*1:つげ義春「もっきり屋の少女」より