食堂で聴いた歌


 今週に入ってからずっと無気力で、へ先生に会って興奮した反動の虚脱状態が続いているのか、それとは別に体調のせいなのか分からないけれど、なんだかぐったりしている。寝て長い夢を見ても起きて思い出そうとすると、いろんな話が無秩序に折り重なったままの滅茶苦茶な状態が思い出されるだけで、文章に起こす発端やきっかけすらつかめない。久しぶりに口唇ヘルペスなど出来る。

 へ先生の声が(こっちで勝手に想像していたより)静かで穏やかだったことがしきりに思い出される。小さく低く抑揚を抑えたような関西弁の淀みなく流れる音で、なんだかいつまでも聞いていられるような話し声だった(ご本人は「酒を飲んでるせいで今はこうして喋れるんですよ(笑)」と仰っていた)。想像していたより穏やかで小さな声ではなかったか?と大根泥棒に尋ねると、テレビやなんかの大阪芸人の関西弁を聞いているせいで関西弁に勝手な先入観があるんじゃないか?などと返されたが、そういうことではないんだがな〜。問題は自分が勝手にへ先生の声を想像していたこと。逆にアンタはへ先生の作文を読みながらその人の声を想像していたなかったのか?ということなのだけれど。。
 そういえば、いつだか動画などで喋っているのを観ていた印象もあったのかも。

 暗い空と路地が映った写真が心に残ったことについて。
 最初は「他の写真となにか異質な印象を受ける」という理由だけで、手が止まったのかも知れない。他の写真は「メキシコの風土や風俗、素朴な暮らしぶりなのかな?」とか「ギラギラした光なのかな?」とか「絵葉書になりそうな決まってる色や構図なのかな?」とか、それぞれへ先生が何を撮ろうとしたのか(的外れかも知れないけれど、見ていてこっちで勝手に)想像してしまうのだけれど、暗い空の写真はカメラを向けてシャッターを押すへ先生の気持ちのようなものが、ほとんど想像できない。一瞬「メキシコからの望郷」のようなものにも感じたけれど、なんの根拠もないのですぐ打ち消す。
 画面は傾いていて、しっかりと姿勢を固定して構えずに一瞬で撮っているように見えて、やはりその一瞬の時間に撮っている人の心境になにがあったのか想像がつかない。だけど何かなければカメラを向けてシャッターは押さないはずで、おそらく、映っているものより撮っている人のその時の気持ちが気になって仕方がないのだと思う。
 (いかにもメキシコらしい)メキシコの景色と、自分の住む東京の片隅の暗い部屋の距離も遠いけれど、それは飛行機で何時間という他に置き換えられる距離にも思える。暗い空と路地を向いてシャッターを押したへ先生の心境も遠く、自分の気持ちとどのくらい隔たっているのか、そっちは想像のつかない距離に思える。
 ポートフォリオの隣には、へ先生の日記読者にはおなじみの写真があれこれプリントされた名刺があって、どれがいいかな〜と嬉しい気分で選んで頂いてきた。「大根ストリートヴュー」を選んだのは、同じ東京という街に住みながら自分には想像もつかない気持ちや視点でそれを眺めるへ先生への思い、その距離の隔たりを(件のポートフォリオを見た直後で)無意識に引きずっていたのかも知れない。



1/30
 夕方。場末の食堂でカレーをぼそぼそ食べていると「踊る踊る大走査線」(というか、なんちゃらかんちゃらのEl Cascabelと書いたほうがいいのか、、分からん)の印象的なイントロが聴こえて、スピード(昔のアイドルグループの)みたいな曲が聴こえてくる。「特別な日のナチュラルメイク早く気づいてこの合図♪」という歌詞のあたりで、「ん?、これは何かただならぬ投げやり加減だなあ」と気になり、ずっと集中して聴いているとその後も終止隅々まで満遍なく投げやりで虚無的な内容で、逆に感心してしまった。「この愛は現場で起きてるデステニ〜♪」というくだりではもうカレーを噛みしめながら笑いを押し殺すしかなく、つくづく徹底的で念入りだなと感じた。
 どうでもいい歌詞の虚無の様式というのもきっと時代に連れて移ろっているはずで、場末の食堂で流れる歌も当世風(2013年型)の虚無の形をしているならそれほど気にならないはずなのだけれど、「この愛は現場で起きてるデステニ〜♪」は90年代初頭を思わせるセンスの虚無感のように思え、それはあんまりじゃないか!?と、とても異質な感じがした。
 夜。そのことを大根泥棒に話すと「いまのアイドルはいろいろ進化してるからわざと自覚的にそういうことをやってるんだよ」と自信満々で指摘され、うーんそうなのか、、ぜんぜん気づかなかったし一本とられたし歳とったよなあ、、と(笑っていたつもりが笑わされていたのかと)しみじみした。

 夜。学生時代の友達のブログというのを教えてもらい、なんとなく読み始めたらそのまま止まらなくなり数年分を一気に読んでしまった。気づくと夜中。日記にはたびたび原発に対する毅然とした政治的な言葉が出てきて、そうかそうかと読んでいたけれど2年前の311の日付より遡ってもどこそこの原発がどうの、どこそこの知事官邸のファックス紙が尽きるまで云々という話題が尽きないので、そうかあの人はずっとそういうことを気にして考えていたのかと少し驚いた。そういう毛色の発言をのぞけば(あの日から関東を離れ流浪したのち今は)瀬戸内海の離島での半農半Xという暮らしぶりが静かに淡々と記されていて、読んでいてしみじみした。食堂で聴こえてきた「この愛は現場で起きてるデステニ〜♪」で笑いを堪えたり、当世風の虚無感がどうのと書いている今の私を見たらその人はどう思うんだろう。そんな呑気なことばかり考えている私自体が虚無そのものだろう。
 悲しいとかどうしょうもないと思うけれど、カレーを食べながら「この愛は現場で起きてるデステニ〜♪」で笑いを堪えていた時間が今の自分の現実感で、何かを感じ考えてわざわざ日記に書こうと思ったことはそういうことだった。そのくらいどうしょうもなく、不真面目で、なにもない人間。