先端、頭蓋骨、泡雪


 例年どおりクリスマスとは関係なさそうな場末をなんとなく巡る。どうにも自転車をこぐ足が芯から冷える感じで感覚が鈍ったり動かすのが億劫で、それで今年の冬は寒いという噂をわりと真に受けていたんだけど、「皮下脂肪が減ったせいじゃないか」と指摘され、ああなるほどとしっくりきた。
 寒さに正面から突撃するような帰り道、休憩がてらにケーキを食べようとファミレスに入る。去年のクリスマスは「たぶん空いているだろう」と量と豪快さが売りのとんかつ屋に入ったら、若いのからお年寄りまでカップルだらけでショックを受けたんだけれど、ファミレスは逆に学生やら家族連れなんかで賑わってるのかと思いきや、まるっきり閑散としていた。私の世の中に対するイメージなどぜんぜん当てにならんと思い知らされる。
 窓際の禁煙席。浮世離れした気分と現実的な気分が交渉した結果、なぜかプリンが載ったパフェを食べる。およそ一年前の誕生会にもパフェを食べたことを思いだす。瀟洒なガラスの器にカラメルにバナナにコーンフレークにバニラアイスにプリンに生クリームが満載されていて、とても馬鹿馬鹿しくて今日という日にぴったりだし、おいしいし、私みたいなクルクルパーな中年には丁度よいと思う。
 彼氏と揉めたので正式なクリスマス会合は25日にやると話す後ろの女とそれを聴く男、ドリンクバーの前に立つ「ダルフィー」と堂々たるロゴいりジャージの大きな背中、最後に「良いお年を」と別れた食堂の主人。いま、目の前のパフェと正面での対峙の実感だけに支配され、ただただ甘さや冷たさや風味や舌触りに夢中になるだけの自分のことさえもなんだかよく分からない自分――ただ目の前のパフェの実感だけがあって自分はいなくなる。パフェの馬鹿馬鹿しさ、理由のなさ、存在感に比べたら自分みたいなものは馬鹿にも届かないフヌケ野郎だ――には、人様の気持ちや事情など知る由もない。ただその場所で曖昧に交錯した(自分を含めた)それぞれのクリスマスのことをぼんやりと考える。

 翌日。「ポンヂ・スカルネージョ」だか「ポンタ・ヂ・スカルネージョ」だかいう謎の言葉が夢に出てくる。ブラジルのジャングルを歩き廻るあいだ、銅か真鍮のような色をした指環か腕輪の周囲にその"ponta de skull/scale nejo/neige(?)"の綴り(ポルトガル語?)が並んでいて、"e"か"o"の文字が大きいか円の内側に並ぶかリング自体が"o"となる意匠がよいか、どれがよいかと悩む。それと平行して、大昔にエロ本で観た画像を確認したくなり、本棚の隅や本棚ではない他の隠し場所をあれこれと探す。隠された棚に捨てたと思っていた懐かしいエロ本が数冊きれいな状態で並んでいて、その隣に印刷の表面だけを剥がしたような紙屑が落ちていて、スクラップ集から強引に剥がしたグラビアのようにも見える。一枚づつ確認してみるがどれも見たことない写真。目覚めてすぐ、その「ポンタ〜」をググったり翻訳してみたりしたが何も分からなかった。(聖夜)