夜窓のあとさき


 土。午後おそくから自転車で出かける。むかし出会って気に入った風景がまだあるか確かめに、寂しげなところをうろついた。前に来た時もちょうど同じような季節で、その時はなんだか枯れ果てたような印象だったけど、今日はずいぶん花が咲き乱れていて、それが朽ちた建物とうまく調和して庭みたいな景色になっていた。日が落ちた真っ暗な公園で遊び続ける子供たちの声と影法師をずっと眺めていた。「カンカン」と呼ばれる子供がいて、なんでそういうあだ名なんだろうなということを呆然と考えていた気がする。それから食堂に入り鶏肉を食べる。そしてまた寂しいところで缶コーヒーを飲んで帰ってきた。
 極力圧縮して書くとこういう感じで、水曜か木曜だったか、数日前とまったく同じことをしている。出かけた場所は違うけれど、地面に付いている名前が違うだけで、自分がやってるいることも感じてることもあんまり変わりない。
 帰宅してから、ああ脚が痛えなあ疲れたし寒いなあ、、などとぐったりしているとボさんのラジオが始まったので、椅子のうえで目をつむり眠るように聴いていた。それから黒いモサモサした上着を羽織り前を首元までぴったりと閉めてから窓を開け放ちタバコに火をつけた。エディタを開きなにごとかタイプしてみる。とくになにもない。頭のどこかからチョロチョロと流れてくる弱々しい水の流れを両手に受け、それが掌に満ちるのを待つように、ぼんやりとカーソルの明滅を眺めたりやめたり。




 「あたらしいツイートが何件あります」というのを押すと短い言葉が出てくる。それが今晩はおみくじみたいに感じられた。大吉でも中吉でも末吉でもあんまり気にならないでしょう。凶だと気にするのかも知れないけれど。「探し物がみつかる」とか「水難に注意」とか「赤いものを身につけるとどうの」とか、ボタンを押すとピロピロと何かしら気が紛れるような言葉が出てくる。
 岡本太郎botというのを眺めていて、岡本太郎って割と説教みたいないろんなことを言う人なんだなあと思ったりしていた。芸術は爆発だ!つんで後は黙ってなんかしらコネコネ作ってる人なのかと思ってたよ。

 日。なんだか疲れて午後おそくまで寝ていた。ボソボソ起きてきて夜に鶏肉を食いにいった。それから神聖な森の入り口の巨大な門の前で缶コーヒー。これでもかと同じことをくり返す。まったく自分でも呆れるけれど、実際それがしたいことなのだからしょうがない。帰宅してからもだいたいイスの上でぐにゃっとしていた。よふけ、外が静まりかえると、暖かい上着を羽織り下はパンツ一丁で窓を全開にして煙草を吸うのが、ワタス的に微妙に流行っている。
 黒い鏡のような夜窓を開け放つと、真っ黒い冷たい夜が広がっている。遠くから微かな地鳴りのような、大気の振動のような、夜が震えているような気配を感じる。モニタの灯には季節外れの蛾が飛んでくる。ここしばらくぶっ壊れてガラガラと音をたてていた換気扇が直ったので、今夜はとくに静かだ。

 人からオイスターバーなるものの話をされるなど。世界中の様々な牡蠣を様々な趣向で食わせると云う。日本のは総じて淡白な味だと云う。アメリカの東海岸だかどこそこの牡蠣は「海のミルク」だか「海のクリーム」などと例えられるような濃厚な味わいがあると云う。値段もまちまちで一個いくらなどいう相場をあれこれ聞くうち、ちょうど中古シングル盤の値段みたいに思えてしまい、頭の中であれやこれやと比較してしまった。ワタスがオイスターバーに辿り着くことは一生無いことのように思える。