ひとり、を感じる手続き


 先月末からばたばた。じけん、葬式、実家帰省、いろいろありつつも、今こうしていつも通り妙な姿勢で落ち着く。

    • 少し前にとても素敵なものをいただいた気がしたんだけど、ばたばたしていてそれについてちゃんと書けなかった。落ち着いたのでまた見に行ってみると、痕跡が無かったので、まぼろしだったかもしれない。。
    • 配信中、社長から電話がかかってきて「勤め先からアレされるかも」などと落ち込んでいた浜田さんと身投げ屋さんの放送もちゃんと全部聴けなかった。やんごとなき方関連の配信も全然アレできなかった。そういえば気になっていたんだけど「あなたの心の空中ブランコ」っていうコピーはご本人が案出したのかしら。また別の誰かなのかしら。。
    • あのjkさんがツイッターを始めたそうで、読ませてもらっている。最初は慣れないとおっしゃっていたけど、もう大丈夫なご様子。「肌に合ってるような気がする」とまで。さすが。どんなことでも、自分からそういうふうに思うことが大切な気がする。自分はぜんぜんダメだなあ。「ツイッターに書いてみたい(つぶやいてみたい)」という気持ち自体は持てるんだけど、わりと素直に書いても工夫して書いてみても、どうやっても自分じゃないような、へんな感じ。たぶん普段から「自分みたいな自分がいる」とか、さも「自分みたいな自分がいかにもなことをつぶやくような予感がしてただけ」で、そんな期待どおりの自分なんかいないってことだよなあ。
    • 実家帰省。頭とか身体とか、いろいろ弱ってきてる実感はあったけど、一番のアレは食べたものを消化する力なのかもしれない。



 以下、急に思ったことの書き殴り。
 精子に関するつぶやきに精子に関するつぶやきで答えたら、また別の方向から精子に関するアレが飛んできた。『精子一つの情報量が37.5MB。一回の射精で放出されるのは1587.5TBになる』 へえ、精子一個でドラクエIII、19本分の情報量か。。こういうのってツイッターでよくあるなんかのアレなのかしら。集団的なんちゃらだとか大袈裟なアレをアレする気はないですけれど。そういうことをぼんやり考えていてふと思ったけど、さっきの「自分のつぶやきらしいつぶやき」って発想自体、自分が家で独りきりという気分を確認し実感したいような気分で、ツイッターだのmixiだのブログだののコミュニケーションなんちゃらを使っていた証左なのかも知れない。
 自分の「ひとり」を確認し実感するために、コミュニケーションなんちゃらを使う。ややこしいけど、ほんとにただ独りでぼんやりなんかしているだけでは「自分がいま独りきりで、独りきりの人らしい気分でいる」と確認出来ない、実感しづらいものなのかもしれない。かつて、音楽を聴く理由を「自分の部屋に帰ってきて独りでいるということを確認しきちんと実感したいから」などと書いたのと似てるかもしれない。独りでいることを確認し実感し、独りでいることの感触を確かめるという目的が不純というなら、僕が普段していることは、ほとんど全部不純だ。
 などとバカみたいなことを思いついてみたところで、それで今後、つぶやきやすくなったりはしないんでしょうけれども。。