psychokinetic motorpool


 さっきから片頭痛で絵が描けないので作文(というか箇条書き)します。個人的に後で見返す用に、イラストについての覚えです。
 人様の車の絵(村長さまというお方)が素晴らしくて、それを引用して製作した絵。本当は車だけで充分なんだけど、少女の念力で時空間が歪んでいるという物語り(無意味さ)を導入してみる。侍は裃の独特な形と車のパーツを並べてみたかっただけ。

  • 車というモチーフの中で完結する立体感と遠近感。アンチ造形性アンチ再現性も「造形」であるということ。再現を拒否する純粋造形? 異空間をつくり出す創造性。描くことに関する知識や方法の前にある、描きたい(あるいは再現したい)という気持ち。気持ちでねじ伏せるピュアさ、プリミティブな感じ。描き込みの粗と密。合理性ではない、クリエイティブな省略の仕方、創造的省略。
  • 車のエアロパーツと和服、裃(?)のフォルム。DQNやビジュアル系(ゴシックなんちゃらとかグローバルなやつじゃなくてドメスティックな。土着的かつ同時多発的なもの)の美意識や造形感覚と、歌舞伎(歌舞き、傾き)のそれ。日本固有の感覚?
  • まったく別の作者も車の絵において対角線状に道路を描いていた。対角線が国旗のような静謐と象徴性を与える。それを強調するには、例えば車をV字状に左右対称に配置するとか、無茶な感じにすべきだったか? 
  • 色味に関して。反転や単純な色相操作などで、生っぽさ(パレット)と痙攣的な感じ、明解な力強さを強調する。それから、画像圧縮の荒れ、ノイズの造形も同様に。
  • 人に見せたら「イラストじゃなくて人の写真にしたら?」と言われたが、それは、たとえば(すごい形の前髪の)工藤静香とかで分りやすくキッチュな感じにするとか、モチーフと距離を保った冷徹な画像操作、画像編集っぽい方が良いのでは?ということみたいだけど、自分でもどういうふうに見せたいのか、自分の絵と人の絵の混ぜかた、まぜ具合に関して、迷ってたと思う(写真にするつもりは全くなかったけど)。 結局「混ぜるのか混ぜないのか、意思のない感じ」という描き方になった。
  • 冷静な方がいいとか、もっと熱っぽい感じ(単純に描いていて楽しければいいとか、マウス絵の身体性(身体性を拒否するという身体性?)とか)がいいとか、明確にどちらかではなく、そこらへんが曖昧な見た目にしたいと思った。無駄に「駐車場の念力少女」という物語りにしたのも、そういう気持ちからだったと思う。ただ最後まで、もっと明確かつ積極的に「こういう曖昧さ」というはっきりした方向性、着地点が判断できなかった。けっきょく天然に委ねた。