チョコバーの復権


 最近のお菓子はうまいと、だいたい何を食っても感じる。たとえばチョコバーなんつってもアタスが小さいときは「お腹がすいたらスニッカ〜ズ!」とかいう白痴的なものしか知らなかった。たまに食っては「あっまー!」つって、ノドがおかしくなって「絶対アメリカ人はバカだ」と子供ながらに確信を深めたし、あの水なしではとても嚥下もままならいような焼ける甘さ。「ヌガー」という響きにはもはや邪悪なものすら感じていた。ちかごろ思い出したようにチョコバーを食べ、うまいと思うたび、きまってそこに「お腹がすいたらスニッカーズ」によって失われて久しい「チョコバーの空白」を取り戻すような気持ちが同調しているのを感じる。
 小枝のでかいやつ(大枝?)も、キットカットのでかいやつも、かの浅田マオ女史が飼い犬にその名を冠したと言われるエアロも、オレオのチョコバーも、だいたいうまい。とくにオレオのチョコバー。熱烈なオレオ支持派と対面するたび、日和見というか、お菓子ごときで波風をたてなくないアタスは永年ただ笑って黙してきたが、「普通のオレオ」は「なんの感動もよびおこさない、つまらないお菓子」だと思ってきた。その反動もあってか、オレオのチョコバーは余計うまいと感じる。