マイケルうどんゲイトリー




 自他ともに認める引っ越し好きで、多方面からの顰蹙も省みずかつてブログ上でも幾度となく新居自慢をしてきたワタクスですが、またも引越しました。渇いたコンクリートジャングルを離れて、今度はちょっと緑が多いところでスローライフを満喫するつもりです。訪ねてくる友人たちも、たおやかな木漏れ日のした、みな口をそろえて「のんびりした雰囲気がいいよね」「木の家って温もりがあるよね」「マイナスイオンだよね」「ロハスだよね」と、おおむね好評のご様子。誰ひとり人間じゃないですけどもね。

 よる。
 また泣き言でも書きにいくか!と、右のパソコンのボタンを押してたのだが、起動しない。およそ1500〜1700回くらい。途中で数えるのやめた。嗚呼ついにこれで終わりか南無三、、と、しめやかな気分で焼うどんを食べる。食後、再び(今度は真心を込めて)起動ボタンを押すと、なんと25回くらいで起動した。 ふしぎである。さっきまで、嗚呼もうこれで作文も謎の作業も出来ないのか、、というムードだったので、起動しただけで奇蹟にでも逢ったような気になり、なんだか心の隅々までありがたい気持ちで満ちたりてきたのです。そして泣きながらナンマンダブナンマンダブと唱えつつ、心新たに気持ちをこめて謎の作業「マイケルうどんゲイトリー」を制作いたしました。毎回「これでパソコンできるの最後」という気持ちで触ったら、ありがたい気持ちでいられそうです。
 それから、ひき続きありがたやムードだったので、右のパソコン起動記念に「テレビを観ながら音楽を流して録音するやつ」を制作した。途中、操作を誤りiチューンからむかし録音した人様のネットラジオが流れてきた。その、なにげない話をする、ひとの声を聴いていたら、胸をしめつけられ、センチメンタルな気分になってしまった。たかだか半年前の声なのに。これが、数年とか先に聴き返したらどうなっちゃうんだろう。ものすごい泣けるのだろうか。。想像がつかない。声ってすごいなと思う。

 昨日の勢いまかせの「すみれいろ焼そば」の投稿ですが、あれから自分なりにあの行動の隠された意味について考えていたのですが、ワタクスつい最近、作文に貼る画像のサイズをブラウザのウィンドウ幅に合わせて可変させるという、しゃらくさいテクニックを覚えましたでしょ。それが嬉しくてやたらでかい画像をたくさん貼りたかったんじゃないかなーと、、結局そんなふうに結論づけてみました。「マイケルうどんゲイトリー」も、たぶんそういう感じかと思います。
 ずっと念願だった、日記本文の明朝体化もどうにか成功しました。ほんとうは本文だけを明朝体にしたくて、ぜんぶ明朝になってしまったのが不本意なのですが。。まったく仕組み(スタイルなんちゃらとかいうやつ)が分ってないままいじってるので、おっかないのでここで止めといて様子みます。だけど、ゴシックの時とサイズは変えてないんですが、ちょっと文字が潰れてて読みづらいですね。慣れなのかなあ。