あとのまつり色

 昼に起きてノテーとしつつ鬼の機械をあれこれいじくってみる。例のソフトが動いたのであーだこーだしてると某D氏らしき謎の人物にコンタクトできたので、そこからさらにあーだこーだするうち、かかってきたものをとると通話出来てしまってたまげた。いやあびっくりした(こっちがびっくりしたくらいだから、向うはもっとアレだったと思います。すみません)。スピーカだけじゃなくてマイクも入ってんのかよ!と。なんなんだよこれ!とゆー。それから、むーーこれはどうしたもんかと少時考える。ラジオが出来なくなった今、このなんちゃらという文明の利器でもって心機一転あれこれするべきなのか、どうなのか。どうせアレだろ、マイクくらいは買わないとアレなんだろと思ってた矢先だったから、思わぬ方向に事態が急転して大いにうろたえる。
 当初は、今日もどうせヒマだから「機材やソフトなどの技術的なこととは別の音の良さ、具体的な音質とトーク内容の、ちょうど中間ぐらいにある音の問題」について、日頃思うところをあれこれ整理して書こうと準備してたんだけど、一切なんも手につかなくなり気も漫ろなまま、今まで読めないままそこいらへんに転がっていたコムパクトデイスクを鬼の機械でエムペースリーに変換するなどのルーチンワークに午后を浪費。もう圧倒的に無為に過す。それでも心は宙に浮いたままどこにも着地することが出来ないので、もういろいろあきらめて惚けたままjk氏の仙人新聞など眺めて過す。何をしようとしても、何を考えようとしても、いっさい身が入らないのだ。そうなったらもう仙人新聞でも読むくらいしかないではないか。
 夜更け、かのやんごとなき方が昨日ラジオに出演されていたのを知り、また魂消ると同時に聴き逃して落ち込む。消えて落ちて魂はいよいよどうにかなってしまった模様。あとのまつりというやつですね。いったい私はその時間なにをしていたというんだ。今日はいろいろなことが同時多発して、なんだかよく分らないままに私の魂は得体の知れない祭のお神輿に乗せられてどこかに連れ去られてしまったような気分です。
 今朝の夜明けはすみれ色なんて生易しいもんじゃないですね(そういえば昨日の午后、例の文明の利器に「汝の名を名のれ」言われたのでsumireiroと答えたら見事に弾かれましたが、いま思えばそれが「兆し」というものだったのかも知れません)。某作家の作品に「宇宙からの色」という印象的なものがありましたが、そういう感じです。もう余裕で可視光線じゃない感じでございます。