キスと、遊び

よふけ。
某タ氏の自板放送を聴く。アホみたいにレスする。なんかあったのか、おれ。
放送中、かっこいい傘を見つける。もう少しでスレに貼るところだった。
選挙用ハイグレード雨傘「カテール」。


http://www.kasaya.com/whiterose/kateru.htm




そのころ、
キスすると2兆もの雑菌がお互いの口の中を行き来する。(○様、談)

キスというと、いろいろ思うところがある。
無性生殖する(セックス無しで、細胞分裂で増える)生物、二体がくっついて、お互いの体液を交換する謎の行動。
これは目的が分ってないらしく、無目的な「遊び」のような行動、キス(唾液交換)の原形ともいわれている。
そうなると、
キスは、無性生殖→有性生殖に進化する以前から存在する、生物の行動様式。
生物のキスという行為(体液交換)は、セックス(有性生殖)より、古い歴史を持っているということである。
十代の中頃だろうか、これをたしか、澁澤の本かなにかで初めて読んだ時、衝撃をうけた。
まだ、キスもしたことがなかったはずだが。とにかく、なんかびっくりした。
それまでは、キスは、ずっと性交のオマケというか、なんとなく性交の従属物のように考えていたからだ。
キスは、生殖という行動とは独立した、(有性生殖する)生物の宿命から解放された行動である。
だから、キスをするときは、(おそらくDNAの不要部分に貯えられた)無性生殖の頃の遥かな生物的記憶を
辿るように、なぞるように、ちょっと意識してみたりするのも、なかなか乙であろう。
それから、
脳味噌を持たない、考えることをしない単細胞生物に、
すでに「遊び」のような行動がみられた、ということも、実に神秘的である。

大昔のこと。
著書「ホモ・ルーデンス」で、人間の本質を「遊び」に見出したホイジンカというおっさんがいる。
子どもの遊びだけでなく、企業活動、議論、戦争、人の活動のあらゆる局面に遊びのようなルールと
開始と終わりのあるゲーム的性格が見られる。「人は遊ぶ存在である」。云々。。
そのホイジンカの影響で、人類の「遊び」を研究したロジェ・カイヨワというおっさんもいるのだが、
カイヨワは、人類の「遊び」を、以下の四つに分類している。

アゴン(競争):運動や格闘技、子供のかけっこ
・アレア(偶然):くじ(宝くじなど)、じゃんけん、ギャンブル(競馬など)
・ミミクリ(模倣):演劇、物真似、ままごと、RPG
・イリンクス(めまい):メリーゴーランド、ブランコ

そういえば、
ねとらじ」を、人類の「遊び」と捉えるなら、この4要素がどうあてはまるか。
ということをテーマに、放送したことがあった。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/radio/4112/1231724856/3


ねとらじの競争:リスナー数、レス数、放送時間。明確な数字が存在し、競い合うことも可能である。
ねとらじの偶然:DJとリスナーの出会い、放送の成功と失敗、そこかしこに偶然の支配が散見できる。
ねとらじの模倣:そもそもねとらじは、DJごっこなのかも知れない。声真似も模倣を基本に成立している。
では、「ねとらじの目眩」とは? これが分らない。
リスナーへのむちゃぶり要請、予定調和を壊す目論見の不条理な凸行為、
24時間など長時間放送によるカタルシス、自らに緊張状態を強いるような放送形態。。。
考えてみても、なかなか、しっくりくるのが見つからなかった。

「〜あそばす」という敬語も、神話の時代まで遡る、古い歴史があるらしい。
「あそばす 古代」などでググると、「遊ぶ」の語源について、いろいろとウサン臭い諸説が出てくる。
祭=神の遊び。日本では神様が遊ぶと世界が人間にとって住みよくなる。という考え方があって、
そのために人間は真剣に祭を執行する。云々。。
。。なんでこういう話になってんのか、ワケ分らなくなってきたところで、そろそろやめます。



昨日。朝っぱらに放送。まんじゅう氏の音楽放送インフルエンス音楽放送。*1
3時間46分。久しぶりだし、つかれた。。 接続切れなかったのが、とりあえずナイス。