おふろのポリス

 PCの前に座るとボさんのラジオがやっていたので途中から聴いてみる。誰か女性がゲスト出演している、よく聴いてみるとmさんらしい。mさんは某画像投稿サイトの関係で知った方なんだけど、もちろん会ったことも声も聴いたことはないしテキスト上で言葉を交わしたこともない。ただ作品のみを知っている方。しかし放送の中で「自分はmである」と語っている。なぜそのmさんがボ先生のラジオを聴いているのか、ゲスト出演しボ先生と喋っているのかと、びっくりする。
 「あなたの街の銭湯でオフ会」という企画のような話をしている。とうぜん浴室は男湯と女湯で分かれている。壁を隔ててどうやって会話をするのか?という協議をしている。「いま、身体を洗ってます」とか「いま、湯船に入りました」とか「お湯の噴出口のあたりにいます」とか、大声で逐一報告しあうのだという。その会合では、参加者が同じ行動をしないといけないらしい。すげえなと思う。
 そういう話をしながら放送が終わる。エンディングにポリスの「見つめていたい」がかかる。それを聴きながら眼が覚める。外は闇で、雨の音がする。夢だった。。
 銭湯でポリス。なぜポリスなのか分からない。なんの思い入れもないし、自分の心象風景とともにあった音楽でもないのだけれど、夢の中では確かに鳴っていた。ボ先生の放送のエンディングでかかりそうとでも思ったのだろうか。。そういえばワタスのTLにずっとポリスの話をしている学生の方がいる。そのせいだろうか。ボ先生もmさんもTLにいる。単純にワタスがTLを見すぎたからこんな夢を見たんだろうか。



 よふけ。作業をピロピロしつつaさんの音楽配信などを聴く。相変わらずな感じでスッポリと丁度よくはまる。中盤以降からの微妙な酔っぱらい具合に、前にどこかで聴いた誰かのdjだか選曲だかを思い出した。かける曲はぜんぜん違うんだけど、展開というか脱線具合のようなものが似ている。。部外者(下戸)のアタスからすると、なにか人には「酔っぱらいの行動や感覚の型」のようなものがあるように感じる。酔っぱらうと人は似かよるものなんだろうか。また酔って聴いてる人には通じ合える心地よい感覚みたいなものがあるのだろうか。まあ「酔った」と自己申告せれていただけで、ほんとうにaさんが酔っぱらっているのかは分からないけれども。。
 そういえばワタスはお酒が呑めないから、その代替のように「幻がどうの」などとこだわっているのだろうか。代理欲求なんつう言葉も聞き覚えがあるが。。習慣としてお酒を飲んで酔っぱらう人は、それこそまぼろし見放題だったりするのだろうか。

 そういえばiヤダさんの「前の店子がうっすら分かる看板」*1という着眼が、ほんとイイ趣味だなあと、また関心してしまった。そう言われると自分もそんな看板が気になっていたけど、どうもあんまり自覚がなかった。
 ちゃんと看板を作りなおす金がねえ、やる気がねえ、めんどくせえ、どうでもいい、、様々な理由があるんだろうけれど、この現在の店名と過去の店名という透かし状態が、ちょうどワタスが気になっている「現実と幻視」の関係のようにも見えておかしかった。毎度毎度「まぼろしまぼろし」くり返して我ながらキチガイじみてますけれども。

 撮った人の気持ちや心境が投影されているような写真があるという。自分にはそれがどういうものなのだか、いまひとつちゃんと分かっていない。ただ、そういうモノの言い方があるということだけは知っている。そんな言い方をよく耳にするからだ。
 ただ、どこかで見たような「綺麗に撮れましたー」という写真やら、なんかのグラビアふう、素材集やらサンプル画像のイメージ写真みたいなやつじゃなく、写真を観ていて、この人は悲しいんだろうなー!とか、辛いんだろうなー!とか、嬉しいんだろうなー!とか、頭おかしいんだろうなー!とか、なんだか分からないけれど、伝わってくるような何かがある写真。
 そういう写真から何かを感じとるワタスたちというのは、写真に映っている現実とは別に、そこに重なるように映る撮影者の心境のような何かを観ているのだろうか。もしそうだとするなら、画像に写り込む撮影者の心境(情景)のようなものを仮に「まぼろし」と呼んではダメだろうか。。