他人の夢

明け方くらいから、某眼鏡蹴球氏のラジオのみなさんと、大喜利
初挑戦という配信主と影のプロデューサー女史の手慣れた回答に舌をまく。
自分もひさびさの大喜利だったが、ずいぶん盛り上がり長時間没入してしまった。
。。しわよせで、リレーでの企画放送は先送り。
その後、寝過ごして、影のプロデューサー女史のテスト配信を聴きのがす。
あの回答、ただもんじゃねえなと思う。ぜひ聴きたかった。。
夜から、まんじゅうこわい氏の12時間の耐久ラジオ。
これも寝てたせいでほとんど聞き逃す。まったりしゃべられておられた。
そりつでさんとしゃべってたのとか、すげえ聴きたかったな。






つげ義春夢日記を読み返していて、ふと、カフカ短編集と似た感触を覚える。
もともと、「ヨシボーの犯罪」や「コマツ岬」などの、夢をそのまま画像に定着した作品が
元祖吉田戦車みたいだなーとか、そういう思いはあったけど、
そういう、夢の不条理さうんぬん以外に、
カフカしかりカミュしかり、徹底的なアウトサイダー(部外者)根性。部外者視線。
下級官吏としてのカフカの描く抑圧の感覚と、つげ義春のみる夢の世界になにか通じるものを感じる。
夢を冷徹に記録すると、結局、なにか叶えられない希望や解放の反動、徹底的な抑圧が描かれる。
ごくごくまっとうに世界と対峙し、外を描くより、個人的抑圧と対峙し、内を描くこと、
そこに生まれる存在感、得体の知れないリアリティの大きさに打ちのめされる。
ラジオにしたって同じだろうけど、
たとえば、冷徹に、打算なく淡々と自分の(みた)夢を、放送で語ることを想像するとゾッとする。
(本当の)話す力と、精神力のようなものが試されるような気がする。