ねとらじ 感覚の死と再生 〜朝ぽ〜



まともに人とコミュニケーションしてた人が、
(或いは、まともに人とコミュニケーションしてるつもりだった人が)
それを(部分的に)あきらめて、ねとらじとかすんのは
感覚の(部分的な)「死」とか「再生」みたいに思える。

ねとらじを聴いていると、
どこの誰だか知れない、無数の、無名の人々たちの、
とてもプライベートな、感覚の、死と再生の現場に
立ち会っているような気分。
何かを壊して、何かを再生する人。
何かを壊して、壊したままの人。
線香花火の最期のように、何かがきらめくひととき。

そういう放送に、なるべく多く触れていたい。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/radio/4112/1236813197/722