いつかの、だれかの情景

  • 世界の人口、戦争は何かではない場合、あなたは共有に一致する。独占されておらず、両方とも今生きている。人間や動物や植物は奇跡的な他人事。唯一の宇宙全体では、瞬間の生命は1年で137億です。(2時間前)
  • 色、外観、そのパターンを選択してください。これにより70億人が色を編みあわせることを意味します。(2時間前)



  • 文学の才能は言葉のあやです。天才は彩度を編み物しています。星座とすべての曲の人の夢を行使するには、一点を死ぬ。(2時間前)
  • この文鳥は「文鳥」の「文鳥」を参照している。「鳥は言葉のあやを持っている」と呼ばれる故事成語があり、パターンとして「単語がない美しい鳥を持っていること」を意味することができます。(2時間前)



  • 色の百科事典。数字は好きな人のために。(1時間前)
  • 純粋な自然の色の名前。(1時間前)



  • 佐藤メントールの犬。はじめに詐欺。安息日は再会。(1時間前)
  • 阿藤コンフォート。誕生日おめでとう。(1時間前)
  • 月、水、金の叔父は、水溶性です。(1時間前)



  • 今日のトピックは早起きができなかった。最近、習慣を厳格化されている。二度寝て。(43分前)
  • 今日!それは休日ではないが在勤。埼玉、普通の会社での生活。私の息子はおやすみ。私の唯一のブルーマンデー。(1時間前)



  • あまりにも学校を修理。(40分前)
  • 私の歯茎の墓の上でリリースされる予定(10時間前)
  • 若い習慣で古い人のおそらく妄想。第二の告白で私は多くを語る。深刻な叔父に入り込む。第三の告白のシナリオ、そしてそれは彼らのやる気を引き出す。その勝利、陽当たりの良いカンフル剤。(10時間前)



  • ヨーヨーの目の程度のパーテイション。ロックのパーテイションは100。セレブレーションは私がそのゲートで耳をかたむけ。入れて、ゆすり、ヨーヨーの明日! (36分前)
  • おっはです。眠い上に!(31分前)



  • つむじの数が増加する可能性があります。(17分前)
  • それは頭皮の脂肪の妻と指摘した。(13分前)
  • なぜ、この時期の住民の毎日のために私が集中するか。(13分前)



  • 冬の匂いの隣に寝て一日の女の子、すべてのはかなさの光の詩のほかに(9分前)
  • 新年の健康証明書。再発行された切手の歯磨き粉。(8分前)
  • マックとポテトは、おいしいドーナツが持続されていない。(5分前)



  • 朝は良い。文字どおり私は非常に、非常に冷たい水の粒を感じた朝以来、私はそこに他の冬のようになっている(36秒前)





 写真を整理していたとき、横にあった早朝の言葉の景色。あらかじめ言葉の向こうに相手の気持ちや意思があるというふうに、それだけがすべてのようにワタスたちは習い、またそういう慣習に則って日常生活を送っている。風景に現実(と社会が定めたもの)と幻視がパラレルに存在するように、どこかの知らない人たちの言葉の連なりにも、現実のようなものと平行して幻のような自由な景色が広がっている。(げつようび)


おふろのポリス

 PCの前に座るとボさんのラジオがやっていたので途中から聴いてみる。誰か女性がゲスト出演している、よく聴いてみるとmさんらしい。mさんは某画像投稿サイトの関係で知った方なんだけど、もちろん会ったことも声も聴いたことはないしテキスト上で言葉を交わしたこともない。ただ作品のみを知っている方。しかし放送の中で「自分はmである」と語っている。なぜそのmさんがボ先生のラジオを聴いているのか、ゲスト出演しボ先生と喋っているのかと、びっくりする。
 「あなたの街の銭湯でオフ会」という企画のような話をしている。とうぜん浴室は男湯と女湯で分かれている。壁を隔ててどうやって会話をするのか?という協議をしている。「いま、身体を洗ってます」とか「いま、湯船に入りました」とか「お湯の噴出口のあたりにいます」とか、大声で逐一報告しあうのだという。その会合では、参加者が同じ行動をしないといけないらしい。すげえなと思う。
 そういう話をしながら放送が終わる。エンディングにポリスの「見つめていたい」がかかる。それを聴きながら眼が覚める。外は闇で、雨の音がする。夢だった。。
 銭湯でポリス。なぜポリスなのか分からない。なんの思い入れもないし、自分の心象風景とともにあった音楽でもないのだけれど、夢の中では確かに鳴っていた。ボ先生の放送のエンディングでかかりそうとでも思ったのだろうか。。そういえばワタスのTLにずっとポリスの話をしている学生の方がいる。そのせいだろうか。ボ先生もmさんもTLにいる。単純にワタスがTLを見すぎたからこんな夢を見たんだろうか。



 よふけ。作業をピロピロしつつaさんの音楽配信などを聴く。相変わらずな感じでスッポリと丁度よくはまる。中盤以降からの微妙な酔っぱらい具合に、前にどこかで聴いた誰かのdjだか選曲だかを思い出した。かける曲はぜんぜん違うんだけど、展開というか脱線具合のようなものが似ている。。部外者(下戸)のアタスからすると、なにか人には「酔っぱらいの行動や感覚の型」のようなものがあるように感じる。酔っぱらうと人は似かよるものなんだろうか。また酔って聴いてる人には通じ合える心地よい感覚みたいなものがあるのだろうか。まあ「酔った」と自己申告せれていただけで、ほんとうにaさんが酔っぱらっているのかは分からないけれども。。
 そういえばワタスはお酒が呑めないから、その代替のように「幻がどうの」などとこだわっているのだろうか。代理欲求なんつう言葉も聞き覚えがあるが。。習慣としてお酒を飲んで酔っぱらう人は、それこそまぼろし見放題だったりするのだろうか。

 そういえばiヤダさんの「前の店子がうっすら分かる看板」*1という着眼が、ほんとイイ趣味だなあと、また関心してしまった。そう言われると自分もそんな看板が気になっていたけど、どうもあんまり自覚がなかった。
 ちゃんと看板を作りなおす金がねえ、やる気がねえ、めんどくせえ、どうでもいい、、様々な理由があるんだろうけれど、この現在の店名と過去の店名という透かし状態が、ちょうどワタスが気になっている「現実と幻視」の関係のようにも見えておかしかった。毎度毎度「まぼろしまぼろし」くり返して我ながらキチガイじみてますけれども。

 撮った人の気持ちや心境が投影されているような写真があるという。自分にはそれがどういうものなのだか、いまひとつちゃんと分かっていない。ただ、そういうモノの言い方があるということだけは知っている。そんな言い方をよく耳にするからだ。
 ただ、どこかで見たような「綺麗に撮れましたー」という写真やら、なんかのグラビアふう、素材集やらサンプル画像のイメージ写真みたいなやつじゃなく、写真を観ていて、この人は悲しいんだろうなー!とか、辛いんだろうなー!とか、嬉しいんだろうなー!とか、頭おかしいんだろうなー!とか、なんだか分からないけれど、伝わってくるような何かがある写真。
 そういう写真から何かを感じとるワタスたちというのは、写真に映っている現実とは別に、そこに重なるように映る撮影者の心境のような何かを観ているのだろうか。もしそうだとするなら、画像に写り込む撮影者の心境(情景)のようなものを仮に「まぼろし」と呼んではダメだろうか。。