変な白い花のむこうで

 午后。風呂場で散髪してもらう。ぼとりぼとりと浴槽に落ちる長い毛束を眺める。おかげで頭が軽く涼しくなった。夜に傘をさしてとんかつを食べに行く。大根氏の「だんだん田んぼ」という咄嗟のフレーズが可笑しく、しばらく独りでくり返して自分で笑う。段々畑の田んぼ版らしいが、それはたぶん棚田だ。雨はずっとふっている。静かで涼しくて気分がいいので、そこいらをぶらぶら散歩する。私の好きな物件、また今年もあの変な花が咲き誇るのを眺めながらタバコでも吸おうと寄ってみると、お気に入りの物件はこつ然と消え、きれいな更地となっていた。敷地を囲うように残された積み石の段差がうすら寂しく、なにかを胸にうったえてくる。それはつい数日前まで何十年もそこにあった。でも今はない。おいつかない私の感覚の中だけに、幻としてたっている。
 よく、こういう物件に住み、建物と一緒に朽ち果てて行く自分のことを想像した。きまぐれで「私の住んでいる所です」などという言葉といっしょに写真を日記に載せた頃から、この物件の前に立つ時の気分が変わりはじめた。自分が物件を眺める感じと、自分が物件の中から息をひそめて外界を眺めているような感覚が同時にあった。なにを眺めても鏡みたいに思えてしまうことがあるけれど、この物件は静かに澄んだ水面のようによく映した。今年も蔦と変な白い花の向こうで呆然とカメラを構える亡霊の姿を写真に撮るはずだったけれど叶わなかった。(7/1)