頭痛と眼圧


 某日。よる。
 サッカーを観つつ川のほうを覗くと、名前を変えたM1みたいなやつの話題やら実況でもちきりだった。月蝕やラピュタのときも同じ感じだった。それが良いとか悪いとか好きとか嫌いとかじゃなく、「この一体感みたいなものはなんだろう」とか「そうするのが楽しいからみんなそうしてるんだろうなあ」とか、しげしげと観察しているうちにだいたいいつもコトは終わってしまうので、一緒になってアレするということがなかなか出来ない。mgnさん作文に出てくる「ワオワオする」という表現のことをなぜか思い出したりする。しつこいようだけど批判とかでは一切なく、皆が一緒になってワオワオするのが楽しい/居心地が良いように、ワタスはそういうのを外からポリンキーのめんたい味でも箸で食いながら眺めるのが楽しい/居心地が良いんだろうなあ。ものを観る/見物する/観察するときの、距離感のようなものについて思いめぐらす。
 そのお祭り騒ぎのことを気にしつつでもやっぱりサッカーを観てたんだけれど、もうすぐで豚汁おかわり自由の民生食堂の閉店時刻が迫っていて、ぜんぶ放っぽらかして出かけた。そこの具がほとんどグズグズに溶けて大根と人参のかけらしか確認出来ないような、カップ麺の残り汁的な豚汁がたまに妙に飲みたくなる。クリームコロッケかな、串カツにしようかな、などと頭の中を揚物だらけにして店に着くと土曜日は一時間早く店じまいとのことで、すでに真っ暗だった。仕方がないので他で思いきってすきやき定食というのを食べた。「すきやき」というのが、いつまでたっても自分にとってどうも贅沢に感じる。それは食材や料理の内容がどうのというより「すきやき」という字面と響きのせいな気がする。昭和の感性というやつなんだろうか。食後、寒くてすぐに帰投。
 また川の方で「うんちゃらかんちゃらナイト」という話題を見かけつないでみると、溶けた脳味噌が鼻からほどばしるかのごとき声をした女と正常な声をした女などが何ごとか話していた。世に言う「萌声」というやつらしいのだけれど、溶け流れ出た脳味噌のしぶきを浴びるかのような、これ綺麗でしょう?と足下に出来たそいつの脳味噌の水たまりを見せつけられるような気分でどうにも慣れない。それを二分ほど聴いたあとまたサッカーを観つつ内職した。


 某日。よふけ。停電する食堂へゆく。緑道で飲もうと缶コーヒーを買ったけれどあまりにも寒くて気づくと缶コーヒーを温もりを手中に家に向かっていた。身体が無性に甘いものを欲するので、コンビニで焼芋を買うはずが気が変わって甘いパンをしこたま買うなど。甘いパンは甘いなあ、、ほんとに甘いパンは甘いなあ、、などと真夜中の山下清テイストな白痴的な心理状態で川を眺めていると瞬く間に見境がつかなくなり、ものくるおしい駄洒落をこぼすなど。

 某日。ばあさんがくれるような年寄りくさい菓子コーナーばかりを見る。よくルマンドの隣に置いてあるようなやつを買って食う。うまい。よる。某音楽配信を少し覗く。「ガイ○ベイ!」などとコメントしているラムゼイルイスみたいな顔の人のところを見るとマイケル○ラッシュのレコードの写真に「最高」と書いてあって、試聴器コーナーの前で「音楽が百均のアイディア商品のように思えて」というmgnさんの日記の一節がなぜか頭をよぎるなど。べつに音楽が百均のアイディア商品みたいなのではなく、そのように感じたり清六のギンギラギンがどうのというワタス自身が百均のアイディア商品みたいな人間ということだろう。
 それから、やんご先生のラジオが始まったので録音をかける。また録音が途中で切れるのが見えた(配信中なのに録音ファイルがデスクトップに現れる)ので、そこで再び録音ボタンを押して安心し、夜更けに聴き返すと、また切れているなど。
 「つぶやきしろうに聴こえた」という書き込みを読むのを聴いて、やんご先生は訛っているのか?ということを改めて考えさせられた。訛っているは言い過ぎでイントネーションがちょっと変わっている程度なのだろうか。ただぐでんぐでんに酔っぱらうと声というか話し方が土着的な色合いを強く帯びるような気もする。しかし、地元でもやんご先生の声か話し方はちょっと変だと言われてきたという話をしていたのをよく覚えている。だからやんご先生の声や話し方に感じる微妙な違和感が、訛のせい(地方色)なのかやんご先生固有のものなのか、未だにどうもよく分かっていない。


 眼圧(がんあつ/ocular tension)は、眼球内を満たしている眼内液の圧力を指す。大気圧よりも僅かに高く、この大気圧との差を眼圧の値として表す。単位はmmHg(ミリ水銀柱)。眼内圧は、眼内液の増減によって調節されている。眼内液はリンパ液の一種であり、毛様体で分泌されることによって補給される。この液体を房水と呼ぶ。毛様体から分泌された房水は、まず虹彩と毛様体とレンズ(水晶体)の間の空間である後房に放出され、虹彩とレンズの間を通り抜け、瞳孔を通って角膜と虹彩の間の空間である前房(前眼房ともいう)に出る。前房に入った房水は、虹彩と角膜の結合部分である隅角にある線維柱帯からシュレム管を通過することで眼球外に排出される。つまり、毛様体における房水の産出量と、シュレム管における房水の排出量のバランスによって眼内圧は調節されている。(wikipediaより)