ゴミだらけの砂浜


 いつからか分らないけど、ゴミの散らばった砂浜(のビジュアル)に魅かれている。よくふさぎ込むようになってからは余計気持ちにぴったり来る感じがしている。汚い砂浜の画像をプリントしたバッグなんてどうだろうか?と、絵に描いてみた。
 少し前にも「砂まじりの茅ヶ崎」などという連作をやっていたけど、その後も隙あらば、どうにかして自分が汚い砂浜に感じている良さのようなものを、絵に定着出来ないかなと考えていた。たとえば、ゴミを整列させて描いてみたら面白いかな、とか考えてみたけど、どうにもアレだった。真正面からゴミを描こうとしても、どうも思うにまかせない。自分が描きたいものと違う感じになる。自分のマウス画力(たぶん手で描いてもおなじで別問題)ではどうにもならなかった。だから結局バッグの柄にしたり、しゃらくさい変化球みたいになってしまう。まあバッグもどうなのかと思うけど。
 ここはひとつ「急進的メッセージエコバッグ」という設定にしたら、別に汚い砂浜なんてどうでもいい方たちにもアピール出来ないかな、などと、そこだけメーカー目線になってみたりした。お店やさんごっこだ。お店やさんごっこでもあり、そもそも自分のはイラストやさんごっこだ。ちかごろ、なんで自分が「下絵→塗り」などというどうでもいい段取りをいちいち踏んでいるのかという、その理由に気付いた。たぶんそういうもろもろの気を散らすような手続きを踏むことで、自分の作業を徹底的に子供のイラストやさんごっこにしたいのだと思う。なにか、ただ純粋に描きたい(手を動かしたい)とか、素直な気持ちを表現したいだけなら、下絵も塗りもくそも、段取り無しにいきなり描きはじめればいいわけだし。じゃあなぜ、お店やさんごっこや、イラストやさんごっこでないとダメなのかと考えると、それはたぶん照れ隠しのような気がする。。 こういうことしてる場合じゃないのに、なんだかみなさまスミマセン、みたいな後ろめたさがそうさせるのだと思う。なにか真剣に切実に、表現としてやられておられる方と同じ土俵に立ってるとか、勘違いするなという自戒でもあると思う。
 それと、描いていて「いま自分は楽しんで描いているつもりだけど、はたしてそれは本当なのか?」みたいな不安がずっと付きまとうので、子供のころのイラストやさんごっこをなぞってみることで、あわよくば自分が忘れてるような気持ちが甦ってこないかな?というような(セコい)ことを考えている気もする。




 前にも書いた気がするけど、自分はエコが苦手だ。いろいろ、むずかしいことだなと思う。すっかり商売の文句になってるし、ファッション化してるようでもあり、エコ信仰みたいな宗教っぽさも感じる。「この新しいエコ商品を買って、エコに貢献して、みんなでいい気持ちになりましょう」みたいな、みなぎる欲望を感じる。漠然とだけど、エコって突き詰めていけば滅私みたいなことになってしまう気もするのだけれど、気がつくと、世の中に氾濫するエコという言葉からは「欲望まみれの滅私」というグロテスクさ、居心地の悪さしか感じ取れなくなってしまった。
 そういえばこの感覚は、ワタスがむかし「散歩」が苦手だったのとちょっと似ているなと思った。意識的に無目的に漫ろ歩くって、考えてみると相当難しいなと思っていた時期があった。「行って帰ってきたら、あーなんだか何もしない純粋な歩行だったなあ」という結果的散歩なら比較的簡単なんですけども。「散歩するぞ」って決めて散歩を完遂させるのは相当たいへんだと思っていたし、未だに純粋な散歩に成功した試しがほとんどない。ワタスの場合、最初から、写真をとってやろうとか、景色(墓やボロ家)を見物しようとか、わけあり地帯やらコンビニに寄ってやろうとか、そういうのばっかりだ。いちおう社会通念上それらもざっくりと「散歩」にくくられてるみたいだけど、「散歩」がそんな社会的生産的行動外の歩行、「その他」みたいな腰の引けた扱いでいいのかと、ワタスはちょっと納得がいかないわけです。なんとなく(写真撮影でも物見でも買物でもなく)純粋で美しくあってほしいという、「散歩」にはそんな自立性や理想やロマンを追い求めたくなるところがある。憧れというか。
 話が派手にずれたけれども、自分が「エコ」に感じるむずかしさって、「散歩」の難しさにちょっと似ているような気がした。自分には結果的(受動的)散歩や、結果的(受動的)エコくらいしか出来なさそうな気がしている。

 それで肝心の、自分が感じている「ビジュアルとしてのゴミだらけの砂浜」の魅力については、あれこれ考えてみてるんだけど、今一つしっくりくる説明がみつからない。わびさびやら、退廃美などという言葉ではぜんぜん足りないし、人工物と自然造形、摩擦と痙攣、万国旗、枯山水デレク・ジャーマンの庭、、なにか手がかりだけでも、もっとフィットするのがありそうなんだけど。。 長くなったのでまた今度にします。